あの島には怨念がおんねん(激うまギャグ)。
というわけで現在上映中の映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観てきました。
IMG_20231126_101733s-s-IMG_20231126_101706s-s-
いやー凄かったですね。
世界観や龍賀一族の面々の紹介も兼ねて立ち上がりこそ静かなんですが
次々と起こる殺人事件、ゲゲ郎たちに襲いかかる裏鬼道衆や村の有力者たちとの戦い、
そして全ての謎が明らかになる終盤、と
話が二転三転しながらノンストップでクライマックスまで駆け抜ける大盛り上がりの展開。
飄々としたイケメンと目をギラギラさせたイケメンが
利害が一致して協力し合ううちにお互いを友と呼ぶようになるんですから
そらもう大きなお姉様方に大人気ですよ(偏見)。

今回の映画は『ゲゲゲの鬼太郎』TVアニメ第6期の前日談として
アニメ本編で断片的に語られた
「水木という男に世話になった恩返しとして人助けをしている」
「かつてはイケメンだった全盛期の目玉おやじ」を膨らませたものとなっているんですが
「水木センセイの生誕100周年記念作品」という性格も非常に強く
原作同様のバベルの塔的なビジュアルと共に語られる幽霊族の繁栄をはじめとして
水木の野心のバックボーンに『総員玉砕せよ!』の戦時中の理不尽な描写を組み込んでいたり
今回オリジナルのキャラデザインが与えられた目玉おやじ夫妻についても
しっかりと原作の「ミイラ男とお岩さん」の姿になる顛末が語られていたりと
「6期アニメの劇場版」以上に「あらゆる水木作品をリスペクトした集大成」という性格を
強く感じましたね。

水木作品は鬼太郎に限らずシリーズごとの繋がりが薄く
鬼太郎の母親も「地獄編」では幽霊族ではなく人間だったりと
キャラの根本的な設定についてもまちまちであり
「水木センセイはそのあたりをはっきりさせることに拘りはなかったんじゃないかなあ」と
本作で明確に描写してしまうことには少々抵抗もあったんですが
こうして各作品の要素を咀嚼しつつ
ここまで高レベル、ハイクオリティな作品でまとめられてしまったら
もはや脱帽&納得するしかないですね。

最後に水木が記憶を失ってしまったのはホラー作品お馴染みの終わり方ではありますが
「水木の頭の中だけに残っていた村の秘密が永遠に闇に葬られた」ことや
「6期アニメのみならず他の鬼太郎作品にも繋げられる」世界観の広がりや可能性を考えると
あの終わり方がベストだった気がします。
原作の水木は遅刻の常習犯で「うだつの上がらない会社員」として描かれていましたが
本作の事件で記憶と共にその野心も失われてしまった……みたいな考え方も
出来るのかなあ、と。

また前半のゲゲ郎が水木を助けるシーン、中盤の裏鬼道衆との戦い、クライマックスと
エンターテイメント的なアクションもしっかりと散りばめられており
特に最終決戦は「目玉おやじがミイラ男のようになってしまった理由」を明らかにすると共に
「チャンチャンコ誕生秘話」となっているのも特筆すべきところ。

祖先の霊毛で編まれたチャンチャンコはあらゆる鬼太郎作品で
最強の道具として扱われていますが
本作の描写を加えるとそれにも納得出来るというか
チャンチャンコは霊毛のみならず全ての幽霊族の願いと呪いが込められた
まさに幽霊族の末裔である鬼太郎に相応しいものになるんだなあ、と。

それとアクションシーンを振り返ってみると
第6期アニメでは指鉄砲が決め技として多用され
目玉おやじが若い姿となった第14話でも指鉄砲で決着をつけていたのに対して
本作では指鉄砲が使われていなかったのも印象的だったところ。
逆に裏鬼道衆の面々がゲゲ郎を鉄砲で狙撃するシーンがあったり
回想として使われた『総員玉砕せよ!』パートの描写などを見ると
本作では「鉄砲」が「自分たちを追い詰めるもの」の象徴だった気がするんですね。
なので本作のゲゲ郎が指鉄砲を使わなかったのは意図的な演出のような気がするなあ、と。

また中盤以降の展開は「特定の誰か」を黒幕とするのではなく
「過去の風習に囚われた村そのものが敵である」点を強く感じるものとなっているように
本作のテーマの一つには「変化を嫌い過去に囚われた者たちとの対立」があると思うんですが
いわゆる被害者的な立ち位置だった沙代さんにしても
彼女の考えも「東京にさえ行けば全てが解決する」
「○○さえすれば全てが上手くいく」と夢見がちな極論であり
だからこそ彼女も「邪魔な者たちを始末すれば上手くいく」という
極端な解決方法しか取れなかったんだと思うんですね。

それを踏まえて本作を最後まで見てみると
「人間もこの世界もそう簡単には変わらないけど子供たちが生きる未来はあるんだよ」
「過去に囚われてはいけないけど過去を生きた人たちがいたことは忘れちゃいけないよ」
という結論にしているのは納得できる着地点だなあ、と。

そんなわけで大満足の本作なんですが
すごく面白かっただけに「100分じゃ尺が足りない」
「もっとここを膨らませて欲しかった」という贅沢な不満があるんですね。

水木やゲゲ郎と絡むことがほとんどなく
一族の水増しのような立ち位置で序盤に退場してしまった丙江や
限りなく男女の関係に近いことを仄めかしていた長田幻治と乙米の間柄、
ダイジェスト的に済まされてしまった水木とゲゲ郎が村の調査するシーンなどなど
「ここをもっと観たかった」という部分がたくさんありますし
敵キャラクターはどれもこれも近年のアニメでは珍しいくらいに胸糞揃いだったので
カタルシス的な意味でもアクションシーンをもっと増やしてほしかったと思います。
最終決戦では1シーンだけゲゲ郎が長髪になるところがありましたが
あの状態でのアクションを5期アニメの武頼針みたいな感じで観たかったですね。
これが120分の映画だったら「尺もギリギリだしまあ仕方ないな」と諦めもつくんですが
なまじ100分なだけに「まだいけるんじゃないか」と思ってしまうのです。

それと本作はレーティングがPG12になっているところも話題の一つで
近親相姦を繰り返す一族という設定や
深夜アニメ『墓場鬼太郎』でも改変されていた
「幽霊族の血を輸血することで人間が生きながら死者となる」のをはっきりと描いた点、
後半につれて多くなる「目玉」「血」を意識した演出などが引っ掛かったと思われるんですが
個人的にはPG12にするにはまだまだ大人しい感じもしましたね。

自分は前に観たPG12の映画『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』が
エログロをかなりはっきりと描いていて
「モロ的な部分が無ければPG12ってここまでやっていいんだ……」と感心すると共に
アレが基準になってしまったところがあるんですよ。
まあPG12はあくまでも「助言・指導が必要」であって「12禁」というわけではないので
明確な基準とかはなく内容もピンキリ、みたいなところはあるんじゃないでしょうか。
本作については表向きには「ニチアサアニメの劇場版」となっていることもあって
ハードルをやや低めにしてPG12が設定されたような気もします。
どうせPG12なら「リモコン手」や「本当に指を飛ばす指鉄砲」など
最近のアニメシリーズでは見なくなってしまった欠損系の技を出してほしかったなあ、と。

というわけでいろいろ書きたいことがあって話がとっちらかってしまった感もありますが
大人も子供もおねーさんも面倒くさい原作ファンも
納得のハイクオリティな映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』。
いやもう本当に大満足です。

実は自分は6期アニメについては「新作より5期の続きをやってほしい」というのが先にあり
放送終了から数年が経った今でも正当な評価が出来ないままだったんですが
今回6期の世界観をベースにあらゆる水木作品の要素を取り込んだ
すごい作品を観させてもらったことで
ある意味怨霊となっていた自分も浄化されたような気がするのです。
ありがとうゲゲ郎。

コメント (0) | トラックバック (0)

  アニメ映画, アニメ・漫画, 映画