映画 「百日紅 ~Miss HOKUSAI~」 感想
というわけで現在公開中の映画
『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』を観てきました。
原作が短編連作で分かりやすい山場のあるストーリーでは無いこと、
群像劇的な性格が強い作品にも関わらず
「北斎の娘が主人公!」と微妙に見当違いの謳い文句で宣伝していることなども含めて
映像化する理由があんまり無いんじゃないかなあ、と思っていたんだけど
蓋を開けてみるとこれがまた面白かったです。はい。
特に江戸の町を行き交う人々の喧噪、
ダイナミックな構図で魅せてくれる俯瞰での町並み、
船で橋の下をくぐる時の視点の動きなどはまさに劇場クオリティ。
普通のTVアニメだったらここまでの画面作りは出来なかっただろうし
予算をふんだんに使った劇場作品にしたのも観れば納得納得。
そしてストーリーは原作の「龍(第5話)」「鬼(第9話)」「色情(第19話)」
「離魂病(第20話)」「野分(第28話)」などのエピソードを中心に
火事見物をするお栄、ラスト直前で名前だけが登場する滝夜叉など
他の話からも細かいネタを拾って再構築している展開。
アニメにして映える怪異的な部分をメインにしながらも
各エピソードから満遍なくネタを集めて一本の映画として成り立たせているのは
実力派の原監督の構成力の高さを感じさせてくれるところだね。
ただ個人的に原作の面白さっていうのは第1話の生首に始まって
「ほうき(第2話)」「再会(第13話)」「夜長(第29話)」
あたりの話に見られるような
・死人に対するどこか飄々としたスタンス
・現在よりも死と生の境目が曖昧だった時代ならではの人々の描写
にあると思っていたので
そのあたりのエピソードがごっそり削られてしまっていたのが残念なところ。
尺や表現上の問題があったのかもしれないけれど
「お猶の死」をクライマックスに持ってきているんだし
そこまでの流れとして死体が出てくるエピソードは
余さずがっつりと映像化してほしかったなあ。
また徹頭徹尾お栄の視点で語られる長編作品にした弊害か
原作ではメインを張る話も多かった善治郎や国直が
かなりワリを食っちゃっていた印象。特に国直はキャラ変わっちゃってる感じ。
また雪遊びなどのお猶のオリジナル話を増やしたせいで
そこだけが妙に現代的な(ベタな)演出になっており
「あれ? お猶が病気になったのってお栄が連れ回したせいじゃね?」
みたいに思えてしまう流れになってしまっているのも
ちょっと気になったところかなあ、と。
あ、あと長編映画としてそれっぽいエンディングが必要だった、
というのは分かるんだけど
ラスト5分は完全に蛇足だったと思います。
っていうかスカイツリーが悪い意味で全部持っていっちゃった感じ。
謎のサブタイトル「~Miss HOKUSAI~」もそうだけど
世界に向けて東京アピール! みたいな打算があるんですかねこれは……。
というわけでいろいろと気になった点はあるけれど
しっかりと一本の映画として楽しめた本作『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』。
ただやっぱり90分という尺の短さがもったいないなあ、と。
それこそ3~4時間くらいかけてもっとじっくりと江戸の町に浸っていたかったわ。
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