『サイボーグ009』の映像化50周年の節目に公開された
最新アニメ『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』の最終章となる第3章が公開。
全3章の作品も今回でついに完結、ということで
「人類強制進化計画」による人類に迫る危機、超スピードの宙間戦闘、
チート的な能力を誇る黒幕・エンペラーとの最終決戦まで
まさに90分ノンストップの総力戦。
そしてエンペラーとの死闘、加速の果てに迎える
唐突にして圧巻、喪失感の漂うクライマックスにはただ圧倒されるばかり。
うわーそう来たかー。すごかった。(小並感)
面白かったとか楽しかったとかいうのは良くありますが
「とんでもないものものを観てしまった」と感じたのは本当に久しぶりです。
ありがとう本当にありがとう。そしてさようなら。
事象の地平を超えた先にある真っ白な世界、というのは
どこかで観たことあるなあ、と思っていたら
『トップをねらえ2!』のクライマックスですねあれ。
『サイボーグ009』の加速装置を現代SF的ガジェットでインフレさせると
そういうスケールになってしまうんだなあ、と。
というわけで全体を通してみてみると
加速装置を軸としたストーリー展開としたことで
これまでの作品群と比べると009の主人公性が強調されていた、という印象。
『サイボーグ009』は9人+αの全員が主人公、という
群像劇的な性格が強い作品だと思うんですが
本作『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』に関して言えば完全に009が主人公です。
ただジョーの主人公性が強調されたあまり
最終決戦では物語的にも戦力的にも「009とその他大勢」になってしまっており
そのあたりは痛し痒しかなあ、と。
ドラゴンボールの「悟空早く来てくれー!」みたいな感じで
「ジョー早く加速してくれー!」みたいなセリフが出てくるんですよ。マジで。
そしてもう一つ本作の009の主人公性を強調させていたのがその覚悟の強さ。
「加速装置による孤独」を描いた作品には
傑作と名高い短編エピソード『結晶時間』がありますが
『結晶時間』での009は止まった時間での孤独に耐えられず
「人もサイボーグも一人では生きられない」という結論を出していたのに対して
本作の009は加速の果てにある何もない世界、永劫の孤独を
「これが僕の使命だから」と完全に受け入れてしまっているんですね。
あそこで本作の009は真の意味で人間を超えてしまったというか
「ブレスド」とは別の形での神様になってしまったと思うんですよ。
機械の体を持ち、その心までも人間を超越してしまった。
本当に行き着くところまで来てしまった、という喪失感です。
対比する形でエンペラーが一気に情けなくなっちゃったのは仕方ないですね。
ちなみに第2章までを観た時点ではエンペラーの正体は
「加速の果てに3000年を逆行した別の時間軸の009」だと思っていたんですが
別にそんなことは全くない他人の空似でした。
まあ最後に「仮面が外れるけど顔は見せない」という
思わせぶりなシーンがあったので
作中で語られていないだけで制作スタッフ的には
何らかの形で009との関係性を持たせているのかもしれません。
というわけで娯楽作品としてヒーロー性を強調しつつ
絶妙なバランスで現代SF的な要素を加えて見事に完結した
本作『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』。
面白かったー、と素直に言える作品です。映画館で観てよかったです。
スタッフロール後のアレをどう捉えるかは別として
ストーリー的にはもうこれで完全に終了。
「これもう続き作れないじゃん」的な感じですが
またいつか『サイボーグ009』の新作アニメが作られる時には
「前にはこんな事件もあったよね」程度に本作のストーリーに触れつつ
何事も無かったかのように全員揃っているような気もします。
『009 RE:CYBORG』と『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』の関係もそうでしたし
世界が求めるのならサイボーグ戦士たちは何度でも蘇るのが世の常なのです。
あ、それとWEBコミックサイト「コミッククリア」でのコミカライズも
第3章の公開に合わせて12/9より本格連載開始ですね。
CYBORG009 CALL OF JUSTICE
https://www.comic-clear.jp/comic.aspx?c=62
『009 RE:CYBORG』のコミカライズは数年をかけて映画を忠実にマンガ化、
『サイボーグ009vsデビルマン』のコミカライズは
両者が戦うというエッセンスのみを残した完全オリジナル作品でしたが
本作『CYBORG009 CALL OF JUSTICE』は今のところ映画そのままだなあ、と。
月刊掲載みたいですしこのペースだと年単位の作品になりそうです。