「幼年期の終り」は終末ものでは無い。

と思う。
以下、だらだらとネタバレありで長文。

さて、断りを置いたのでいきなり書くと、
「幼年期の終り」のラストにおいて地球は滅亡する。
何もかもが空に巻き上げられ、重力が消失し、全てが光の中に溶け込んでゆく。
その思わず叫び出したくなるような高揚感と美しさは「傑作」と評されるに相応しく、
未読の方にはぜひとも読んでほしいところだけれども、
本書はそのラストをもって「終末もの」あるいは「破滅もの」というレッテルを
貼られることが多い気がする。

しかし、本当にそうなんだろうか?
確かに人類は一人残らず絶え、地球は消滅する。残されたものは何も無い。
けれども「終末」と呼ぶのは何か違うなあ…。

で、そのもどかしい感じを見事に解消してくれたのが
高千穂遥氏による「愛蔵版デビルマン」の解説文。

-----—以下引用-----—
(前略)
魔の世界はさらに洗練され、堅固なものとなった。
あらゆるエピソードは魔界へと収斂し、その当然の帰結として人類は滅亡した。
物語は神=魔のためにあり、人類はそれを成立させる素材の一つにしか
すぎなかったのである。
(後略)
-----—引用ここまで-----—

「幼年期の終り」と同様に人類を滅亡させた「デビルマン」に対する高千穂氏の見解は、
そのまま本書にも当てはまるような気がする。
人が人で無いものへと変わり、宇宙へ旅立ってゆく。
全ては「人類の進化」を描くためにあり、地球は作品の舞台でしかない。
その過程で「新人類が地球を捨てる=壊滅」となるのは当然の帰結であり、
わざわざ「終末もの」と分類し作品テーマとして掲げられるものではない。
これは人類の変質の物語である。

そう考えるとやっぱり「地球幼年期の終わり」という創元社版の訳は誤りだと思うわけで。

とまあだらだらと書いてきたけど何より惹かれるのはそのネーミングなんだよなあ。
「オーバーロード」とか「オーバーマインド」とか「カレルレン」とかもう格好良すぎ。
というわけで自作ゲーム「弾丸少女」にも幼年期ネタは組み込まれているのであった。

  

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