前作「Q」から9年、第1部「序」から数えれば14年、
そしてTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』から数えれば26年という時を経て
ついに全てのエヴァンゲリオンに別れを告げる
新劇場版シリーズの完結編『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が公開。

前作「Q」の感想はこちら。

映画 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」 感想
https://tktkgetter.com/blog-entry-512.html

いやーもう感無量というか寂寥感というか半信半疑というか
さっさとケリをつけてくれと思いつつ終わるのが想像できないというか
小学生の時に当時のエヴァブームをリアルタイムで体感し
旧劇場版に行列を作っていた身としては思い入れもひとしおなわけですよ。
20年以上前にエヴァ劇場版に並んでいた小学生が
今ではエヴァ劇場版に並ぶような立派なオタクになりました! 的な。
まるで成長していない……。

そんなわけで今回は完結編ということもあって上映初日に鑑賞してきたわけですが
いやー予想以上に手堅くまとめてきたというか
思っていたよりも旧劇場版の要素が強かったというか
そういやこれリメイク作品だったんだよなー、と今さらながらに感じた作品でしたね。

個人的には全くの別物のストーリーになるのを予想(期待)していたんですが
蓋を開けてみれば黒き月や巨大綾波のビジュアル、
補完計画の発動によって光の十字架が世界を埋め尽くす描写など
ストーリーのみならず演出やデザイン面も含めて
かなりの部分が旧劇場版を彷彿させるものになっていた印象。
恐らく庵野監督の意図としては
「旧エヴァをなぞりつつそれを超えたものにする」
「旧エヴァが90年代後半のアニメの流れを”なんちゃって思弁性”
(あえてこういう表現をさせて頂きます)にしてしまったことに対して落とし前をつける」
というのがあるんじゃないかなあ、と。
「自分がしてしまったことの落とし前をつける」というのは
劇中でシンジが何度も口に出している言葉でもありますし。

で、旧劇場版を超えるために本作で追加された要素は何かと言うと
終盤にゲンドウによって語られていた「メンタルとフィジカル」の関係ですね。

「旧劇場版」では全てがメンタルの中で決着してしまったというか
初号機が出撃したと思ったらすぐエヴァシリーズに捕らわれてしまい

シンジが立ち直ることもなくなし崩し的に発動した補完計画の中で
否応なしに人類の未来を選ばなくてはいけなくなって
他人に傷つけられるのは辛いけれどそれでいい、と
悩んだ末に自分と他人が存在する世界を選んだものの
やっぱりアスカにどう接していいか分からず
彼女の気を引くためにとりあえず首を絞めてみたら「気持ち悪い」と言われて
やっぱりコミュニケーションって難しいやHAHAHAHAHA

というラストを迎えていたわけですが(暴論)

本作「シン」は前半でシンジが立ち直る部分をしっかり描いて
後半においても要所要所にアクションシーンを挿入することで
メンタル的な部分に終始してしまった「旧劇場版」に対し
フィジカルというかカタルシスをしっかり描いて
旧作よりもエンターテイメント性を高めようとしていたところがあるなあ、と。

そういったこともあってシンジが立ち直るまでの前半部分、
第3村での穏やかな生活に大きなウエイトが置かれていたのも印象的。
「精神的に追い詰められていくシンジが
カヲルの死によってその心にトドメを刺されてしまう」という
TVシリーズ終盤の大まかなエッセンスを残したまま
作中時間の経過や新キャラクターなどの追加によって
ある意味突き放した感のあった「Q」と比較してみると
「シン」の前半部分は「Q」に対する「再生」あるいは「癒し」みたいなものを感じますね。

「Q」はヤリでヤリ直そうとして失敗するまでの物語、
「シン」の前半はシンジをシンジる人たちによって再び立ち上がる物語ってことですね。
はい。

「Q」と「シン」にあたる新劇場版の第3部と第4部は
初期の構想では同時公開を予定していたことですし
「両作品が対になるようにしよう」という認識があったのは
間違いないんじゃないかと思います。

その点で言えば「Q」から「シン」まで9年もかかってしまったのが
一番の誤算だったんじゃないでしょうか。
対比すべき本作「シン」が間を置かずに上映されていれば
賛否両論だった「Q」の印象もかなり変わっていたと思いますし。

そんなこんなでシンジの心の機微などをしっかりと描くことで
後半のシンジとゲンドウの決着、
そして全てのエヴァンゲリオンを終わらせるラストへと繋がっていくわけですが
いやもう終盤は本当感動モノですよ。
このあたりは自意識過剰気味になってしまうところもあるんですが
正直「シン」の後半を完全に受け止められるのは
「旧劇のエヴァブームをリアルタイムで体験してその後も面倒くさいオタクであり続けた」
自分のような人間だけじゃないかと思うんですよ。
いやもう終盤で「NEON GENESIS」の語が出てきたところで泣きましたよ。
あれだけ「旧劇場版から居座っている面倒臭いオタク」を忌避していた庵野監督が
こんな分かりやすい形でファンサービスをしてくれたんですよ。
もう本当におめでとうおめでとうありがとうですよ。
あとロング綾波がたいへん可愛いです。

まあ歩み寄ってきたと思ったら「お前ら現実見ろよ」とばかりに
リアリティでぶん殴ってくるあたりが監督の監督たる所以なんでしょうが。

終盤になるにつれて補完計画による新世界の創造が
「虚構と現実」という言葉で表現されるようになり
最後のエヴァが「イマジナリー」と呼ばれていたことを考えても
本作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は
「エヴァンゲリオンというイマジナリィの産物」に決着をつけて
リアリティの世界へと帰ってくるための物語だったんじゃないかと思うんですよ。

何はともあれ旧劇場版リアルタイム世代としては
思いのままにいろいろと書き殴りたくなるわけですが
「何だかすごいものを見てしまった……」と思いつつも
「面白かった」とはっきりと言えるのはエヴァならではの感覚だと思います。

いやーでもやっぱり4本の映画に足掛け14年は長すぎましたね。
2000年代あたりからのエンタメ界隈の問題点の一つとして
ユーザーの年齢層が上がったせいか
「あまりにも長いスパンの物語が許されるようになってしまった」
ことがあると思うんですよ。

まあ終わり良ければ全て良しというか
漫画やライトノベルの新人賞などでよく言われていた
「物語は完成させるのが難しい」「未完成のものは話にならない」
なんてのが古い考えになりつつあり
ある意味「終わらないでいつまでも続けられる作品」が
求められるようになった閉塞感もある中で
エヴァ新劇場版が「これで完結!」としっかりとケリをつけてくれたのは
非常に嬉しいことでもあるのです。

そんなこんなでいろいろ話が飛んで
結局わけの分からない文章になってしまいましたが
ありがとう本当にありがとう。
さようなら全てのエヴァンゲリオン。

コメント (2) | トラックバック (0)

  アニメ映画, アニメ・漫画, 映画