牧野修「CYBORG 009 CALL OF JUSTICE」小説版 感想

昨年の劇場公開から始まり動画配信サービス「Netflix」での独占配信に
Blu-rayの発売も決定、などの動きが続いているサイボーグ009の最新アニメ
「CYBORG 009 CALL OF JUSTICE」の公式ノベライズが発売。
コミカライズも月1で連載中ですし
アニメ、漫画、小説がそれぞれ発表されて
「009 RE:CYBORG」同様のメディアミックスをしている感じですね。

この手のノベライズは脚本家がそのまま筆を執ることが多いけど
今回はホラー小説やSF小説を多く手がけている作家、牧野修氏が執筆ということで
ちょっと違った雰囲気になるのかなあ、と。

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いやー何だかんだで関連書籍も全部買っちゃってます。
ぶっちゃけ最初は「地元で上映するんだしせっかくだから」
くらいの気分で観に行ったんですが
今ではすっかりお気に入りの作品です。
そうそうこういう娯楽作品でいいんだよ。バトルアニメでいいんだよ。

そんなわけで「CALL OF JUSTICE」の小説版ですが
あくまでもノベライズと言うことでストーリーはアニメそのまま、
細かい比較はしていませんがセリフ回しもほとんど同じ、という印象です。

ただプロローグとエピローグが人間キャラ、五十嵐の回想で描かれており
更に彼が「機械化手術で腎不全を治癒した」という
設定になっているのが特徴的なところ。

アニメは監督インタビュー等で語られているように
「加速装置とは何ぞや?」ってところがテーマになっているんですが
小説では最初と最後を人間・五十嵐の視点で描くことで
・肉体を少しずつ機械化していったらどうなるのか?
・人間とサイボーグの違いはどこから始まるのか?
・人工物による病気や怪我の治癒が進むとどうなるのか?
などなどの疑問を提示して
もうちょっとテーマを普遍的なものにしている感じなんですね。
小説版のオリジナル要素は正直この部分だけなんですが
非常に興味深いところです。

また読んでいて引っかかったというか気になったのが
007=ブリテンが徹頭徹尾「GB」という表記をされていたこと。
映画本編でも007は「GB(ジービー)」と呼ばれていましたが
あんまりこの呼び方には馴染みがないんですよね。

で、ちょっと調べてみたところ「GB」というのは
平成版アニメを英語吹き替えした時の呼び名みたいなんですよ。
今回は海外資本の「Netflix」で配信がされているし
「GB」表記にはそのあたりの事情が絡んでいるというか
最初っから海外向けを意識しての呼び方だったのかなあ、と。
確かにステレオタイプなネーミングというか思いっきり国名なので
英語圏の人にとっては違和感があるのかもしれません。

そんなわけでプロローグとエピローグを除けば
コミカライズ同様に原作アニメに忠実だった
今回の小説版「CALL OF JUSTICE」。
個人的には少々肩すかしというか
良くも悪くも脚本っぽい「いかにもなノベライズ」になってしまっていたので
もっと普通の小説寄りの文体で書いてほしかったなあ、と。
せっかく本業の人を呼んでいるんだし。
アニメをそのまま文章にしたって面白くないんですよ。ええ。

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あ、それと背表紙に妙なインパクトがありますねこの本。
なんだこの009推し……。

  

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